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15分文学

15分間で書いたテキストを投稿しています。

旅と文章についてのテキスト

結局のところなんか明るくて楽しくてイェーイってなってる記事しか求められていない。でもわたし基本ネガティブだし、そういう記事書くの本当向いてない。「旅っていいですよね」とか言われても、別にわたし旅とか好きじゃないし。いろんなとこに行くのは暇だからってだけだし。ていうかそれただの旅行ですよね?この安全な国で旅とかあるんですか?なんてひねくれてるからいつまで経っても書き出せない。書いたら1時間で終わるようなものが書けない、そもそもワードすら開いてない。もうライター廃業してくら寿司でバイトする、わたしは旅より回転寿司のほうが好きだ!!!

って毎回落ち込んで泣いてメモ帳立ち上げてこういうどうでもいいこと書いて、多少溜飲が下がって、そしたら書ける。 もうほとほと参っている、この一連の工程に。

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facebookに投稿したテキスト

2017.5.25

ある日の午後についてのテキスト

晴れた日、道を歩いた。家の前に延びるアスファルトの細い道で、道端には木々が植えられている。梅の木だ。今は梅の季節ではないため、枝には青々とした葉をつけている。その葉の隙間から太陽の光がこぼれ、わたしの目を細める。遠くに小鳥のさえずりが聞こえる。わたしは歩いて3分ほど先にある卵屋に向かっている。

卵屋とは、その名の通り卵を売っている店だ。店では、破卵と呼ばれる、小さな傷がついた卵を安く買うことができる。破卵という言葉を知るようになったのはこの家に越してからのことだった。大人になっても知らないこと、学ぶべきことがたくさんあるのだ。わたしはそのことに喜びを感じる。

いくつになっても、悩み事は尽きない。同じような過ちを繰り返し、同じようなことで喜び、また同じような過ちを繰り返す。卵屋は倉庫のような店構えで、中は薄暗くひんやりとしている。卵は15個130円。買った卵を厚紙のトレイにころころと入れ、胸の前に抱えてそっと足を運ぶ。壊れやすいものは、大切にしなければならない。そんな当たり前のことを、わたしはもっと学ばなければならない。

家の玄関先に卵を置き、しかし、スニーカーを脱ぐのを億劫に思った。外は変わらず天気がいい。雲ひとつない。もう少し歩きたくなった。何かをしたいと思ったのが、とても久しぶりのことのような気がした。

晴れた日、道を歩いた。行き先は分からないが、道を歩いた。

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テーマを決めずになんとなく書き出した

2017.5.18

見た目

人間の目と肌の色が簡単しかも低価格で変えられるのは今では当たり前のことだけど、母から聞くところによると、つい4、50年ほど前までは、そのような技術は存在しなかったのだそうだ。「カラコンなら、昔はわたしも付けてたんだけどね」と母は言った。わたしはカラコンがどんなものなのか、あまり想像できない。

肌の色むらや凹凸を消し、自分の好きな色に塗り替えるだけで、人は随分と美しくなる。たまに青とかピンクとか、いわゆる「肌色」ではない色に肌を塗る人もいるけれど、まだまだそういった人は多くはない。かく言うわたしも、元の肌を2トーンほど明るくした程度の色に留めている。目は薄いグレーにゴールドの光彩。髪は明るめのグレージュ。でも、そろそろ夏だし、目の色はグリーン系に変えたいとは思っている。

街に出れば、たくさんの個性に出会うことができる。陶器みたいな白い肌と赤い目、黒髪をリボンでツインテールにした彼女は、きっとアニメかビジュアル系が好きなメンヘラちゃん。か弱い自分が可愛くて、かまってほしいタイプ。ピタッとした白Tにシルバーアクセが映える日焼け肌、アッシュ系の髪と目をした彼は、ちょっとイカつく見られたいオラオラ系。夏は海で女の子と遊びたいリア充さん。

母の時代は「見た目で人を判断しないようにしましょう」というような教育があったというが、信じられない。現代において重要視されているのは「いかに見た目からその人を知ることができるか」というスキル。むしろ見た目で人を判断しないだなんて、失礼にも程がある。

そりゃーわたしだって、生まれつきの顔立ちは、残念ながらいいほうじゃない。けれど、肌も目も定期的にメンテナンスしているし、美容室だって月に一度は通っている。努力してる。なりたい自分に近づくことはだいぶできていると思う。だから、わたしは見た目で判断してほしい。少しギャルっぽいかもしれないけれど、明るくてキラキラした女の子だなって思われていたい。

でも、昔も髪だけは染められたみたいだし、カラコンを装着することで目の色も変えることができたらしい。肌だって、ファンデーションという肌を覆うものがあったという。それなら、当時だって、ある程度は自分を理想のイメージに近づけることができたのでは?それなのに「見た目で人を判断しないようにしましょう」だなんて、本当に不思議な時代があったんだなって思う。

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テーマ「見た目」

2017.5.15〜18(時間があるときに分散して書いた、おそらく15〜30分はオーバーしている) 

GW

毎年春は、札幌で過ごすことにしている。3年連続で訪れているので、そろそろ、そう言ってもいいのではないかと思っている。

札幌では特に何もしない。友人がやっている小さなゲストハウスの手伝いをする代わりに、スタッフルームに寝泊まりをさせてもらっている。昼食の世話にもなる。オーナーは海軍の出身で、彼が作るまかないは量が多い。春の終わりに2kgほど体重が増えるのも、ここ3年の慣わしだ。

金曜日はカレーの日ということになっている。一年の大半を海の上で過ごす海軍たちは曜日感覚を失いがちで、それを防ぐため、金曜日にカレーを食べることで週の流れを確認するらしい。それはわたしにも言えることだ。夜遅くまですすきので酒を飲み、朝は洗濯、ベッドメイク、掃除、昼食を食べたら名前も知らないゲストと会話をし、仕事もノートPCで完結する程度のことを週に数時間だけ、そしてまた夜がくる。世間一般から離れることで、人は曜日感覚を失うのだった。

何もしないが、何かを考えたりはする。来年の今頃はどこで何をしているだろうか、いつまでこのような生活ができるのだろう、これからどうやって楽しみを見つけていこう。油断するとネガティブになるため、できる限り前向きに。そうして、ゴールデンウィークの終わりとともに、わたしの春休みも終わる。世間へと帰る。またわたしの一年が始まる。

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テーマ「GW」

2017.5.7

もう一度会いたいと思ったが、ついぞその姿を見ることはなかった。島で出会った女の話だ。

固い緑の葉をつける照葉樹がたくさん茂る小さな島で、白浜からの照り返しがわたしの肌をジリジリと焼いた。コバルトブルーの海は底まで透き通り、見たこともないような色の魚がゆらゆらと泳いでいた。

その島の、岩が転がる浜辺で、わたしたちは出会った。女は赤いワンピースを着ていて、海に突き出たゴツゴツとした大きな岩の上に立っていた。肌は白く、しかし太陽によってほんのりと赤みを帯びているように見える。風になびくワンピースは、島に足りない色と質感を補っているようだった。

「島の方ですか?」

わたしは尋ねたが、女は曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。よく見るとエキゾチックとも言えるような顔立ちをしている。言語が違うのか、声が聞こえない、あるいはわたしに興味がないのだろうか。女は質問に答えないまま、フッと海の向こう側に目線を移した。わたしも女が見やった方角を見る。リーフが途切れたあたりに白波が立っている。空には雲ひとつない。あるのは白く凶暴的な太陽だけだ。汗を拭こうとポケットからハンカチを出す。ふいに女のほうを見ると、そこにはもう女の姿はなく、ただちゃぽちゃぽと波の音がするばかりだった。

話はそれ以上でも以下でもない。わたしはその数時間後に船に乗って島を出て、今では島から何百キロも離れたところにいる。島の風景を思い出すたび、女の姿が浮かぶ。女は島の不足を補っていたのではない。島そのものだったのだ。

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テーマ「島」

2017.5.6(13分オーバー)

断捨離

恋人がいなくなって、一週間が経った。「もう生きてる理由がない!」と、歓楽街のど真ん中で突然叫んで走り出すようなトリッキーな恋人だったので、心配こそすれど、さして驚きはしなかった。驚かなかった自分には少々驚いた。

それにしても、本当にいなくなった。アパートに帰ってきた形跡はないし、勤め先へも行っていないらしい。共通の友人へそれとなく尋ねてみても、「何かされたの?」と逆に心配されてしまう。否が応でも自分の時間ができ、ネットで調べたレシピ通りにチャーシューを4時間も煮込んでみたりするが、やはり帰ってこない。夜になれば「いやー、飲んだ飲んだ」といつもの調子でドアをバンと開けられる気がするが、一向に帰ってこない。部屋の荷物もそのままだ。けれど、よく見ると服が、それもお気に入りであろう数着だけがなくなっていたので、少し笑った。恋人はずっとダンシャリをしたがっていた。ダンシャリダンシャリと恋人が口にするようになったその一週間後に、「ダンシャリ」は「断捨離」と書くのだと知った。おそらくだが、恋人は未だにダンシャリの意味すら微塵もわかっていないだろう。部屋を掃除したら、あっという間にきれいになった。

恋人は、死なない。生きている理由はないかもしれないが、死ぬ理由だってない。きっと今頃は、どこか見知らぬ街を歩いているだろう。開放的なその姿を想像すると、なんだか楽しい気分になった。歓楽街のネオンサインの合間に、月が見える。それはそれは明るく大きな月で、楽しい気持ちのまま、少しだけ、泣いた。

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テーマ「断捨離」

2017.5.4

神道

頭の中には竹藪が広がっていて、その中心のぽっかりと空いたところに、小さな神社が建っている。神社というよりはお社そのものだ。杉か檜と思われる白木の木造で、自分の背丈よりほんの少し高い程度の小さなお社なのだった。お社の前には砂利が敷かれた参道が延び、鳥居は朱塗りの細いものが一つだけ建っている。

その空間に、たびたび訪れる。考え事をしているときや夢の中で、あるいはつまらない人とつまらない話をしている最中などに。一度、飼っている犬を連れて行ったこともある。白い犬は、竹藪の緑と鳥居の朱によく馴染み、まるでお社を護る狛犬を彷彿とさせた。竹は風が吹けば一斉にしなり、横からも上からも下からもざわざわと音がする。鳥や虫の声を聞いたことはない。生きているものは、誰もいない。

お社には木の格子がかかっていて、その奥は真っ暗で何も見えない。きっと、何か美しいものが祀られているのだと思う。

わたしは八百万の神に護られている。やがてわたしも八百万の神になる。

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テーマ「神道

2017.4.29