15分文学

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勉強

夜、自分の部屋で無為に過ごすとき、勉強してこなかったツケが回ってきたのだと感じることがある。

学生時代から勉強が嫌いだった。できるできないというよりは、無駄だと思っていた。エピソードとして印象深いのは、高校2年の初夏に行われた数学の期末テスト。2枚あった回答用紙のうち1枚だけに名前を書いて、2枚目は名前欄すら空白、設問にはまったくの無回答で提出した。無論、その日の放課後に呼び出された。「どうした?せめて2枚は出してくれよ」と言った教師の名前は忘れたが、あのハの字眉だけは今でも克明に覚えている。

しかし、何と言われようが、2次関数だとか三角比などといったものが大人になって役に立つとは到底思えなかった。だってこの公式、お前の薄毛すら解決できてないじゃん。それよりわたしはギターに夢中で、好きなバンドがあったし、そのバンドの曲でライブをしたかった。人並みに行きたいところや欲しいものもあって、そして何より、放課後に会いたい人がいた。そういうものが混ざり合って生まれた、漠然とした「将来の夢」があった。

けれど、大人になった今、思う。勉強は、目的ではなく手段だったのだと。割り切ってしっかりと勉強し、名の知れた大学を卒業できていたら、いったいどんな人生を歩んでいただろうか。勉強もギターも恋愛だのも、何もかもが中途半端な劣等生が、「将来の夢」にたどり着くことはない。ギターはうまく押さえられないコードがあって、そうこうするうち周りが受験で忙しくなっていったので、弾くこともなくなった。そうして気づけば地元の短大へ通い、地元から電車で1時間40分の地方都市で就職し、よくある造りの8畳ワンルームに帰る。

ギターは何となく持ってきたが、部屋の隅でインテリアと化していて触ることはない。ツケを挽回できない限り、たぶんずっとそのままの人生を送る。今日より若い日は二度と訪れない。

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テーマ「勉強」

2017.4.26(12分オーバー)

携帯

携帯電話を持たない主義思想に憧れつつもiPhoneユーザーになって早4年。わたしの世代は高校生あたりで皆PHSやらガラケー(もちろん当時はそういった言い方はしなかったが)を持つようになったが、例に漏れずわたしもその流れに乗ったため、iPhone以前にも10年は携帯電話を持ち続けていることになる。

この14年でいったい、何人と何通のメールを送受信したのだろう。メールのやり取りは当時からあまり得意ではなかったが、何通かは読み返すたび胸をいっぱいにするような文面のものがあり、保存しては、やがて削除し、そして別の誰かとのメールを保存する作業を繰り返した。

今は携帯電話でメールなどは滅多にしない。インストールしたgmailのアプリを時々起動させる程度だ。よく使うのはLINEやfacebookメッセンジャー。既読機能に対して苦々しく思っている反面、既読スルーが気になる相手はいる。

SMSがメールになりLINEやfacebookになっても、やっていることは14年前からあまり変わっていない。いつか携帯電話を持たずとも通じ合える相手ができたらいいなとは思っているが、思い続けて14年も経ったことを考えると、どうやら先は長そうだ。

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テーマ「携帯」

2017.4.25

給料日

25日まであと2日!それはつまり、あと2回寝て2回起きたら、ついにわたしにも人生初の給料日が訪れるということ。

古い映画館やカラオケパブ、よくわからない事務所なんかがひしめく5階建ての雑居ビル、その1階の隅っこで、わたしは1ヶ月間、部活にも行かずにせっせとアイスクリームをすくってきた。定番はミルク、チョコ、ストロベリー、抹茶の4種類。あとは日替わりでコーヒーとかラムレーズンとかレアチーズケーキとか、まあいろいろ。カシャカシャと音を立ててアイスをすくう銀の器具の名称は、未だに覚えてなんかいない。というより、そもそも知らない。聞いてない。バイト歴1年のアリサさんだって、カシャカシャを何というのか知らないと思う。

アリサさんはやる気がないし、ファンデは白すぎるし、口を開けば社会人の彼氏の話しかしないような人だ。そもそも社会人と付き合うって、わたしにはちょっと信じられない。半月前にサキの紹介で会った野崎先輩だって、大学2年になったばかりって言ってたけれど、それでもわたしには大人すぎる。付き合うって何?デートしたりセックスしたり二人の将来について話をしたり、そんなの怖いし面倒くさい。そんなことよりわたしが考えたいのは、人生で初めて自分の力で得たお金で何を手に入れようっていうことだけ。

リサは香水をつけるようになった。たぶん、ドルガバのライトブルー。ちぃはプラダのポーチ。しかも黒じゃなくてベビーピンクの。サキは、ピアス穴を開けた。たぶんピアッサーを買ったのだと思う。

みんなどんどんオシャレになっていくし、それは正直、ちょっと羨ましい。でもわたしはそんなものは買わない。わたしは自転車を買う。ママチャリなんかじゃない、6段変速ギアがついたエメラルドグリーンのロードバイク。それに乗ったら、どこか遠くに行こうと思う。漠然と、なんか世界が変わるんじゃないかって思ってる。わたしにはこれからたくさんの「初めて」が待っていて、そしてそれは、きっとすごくキラキラしてるんじゃないかって思ってる。

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テーマ「給料日」

2017.4.24

ピアノ

家からそう遠くないところに、一軒の古い喫茶店がある。その喫茶店から、夜になるとピアノの音が聞こえてくることに気がついたのは、つい数日前のことだった。そして今日も。エリック・サティジムノペディ第1番。あまりにも有名なその曲を、わたしも何度か弾いたことがあった。かつて音大生だった時代があった。音楽の世界で食べていきたいと夢見、その夢は叶うものと信じて疑わなかった。しかし、それは昔の話だ。あまりにも昔の。

足音を立てぬよう気を配りながらガラス扉に近づき、店内をそっと覗く。男がアップライトピアノを弾いていた。壁の間接照明に照らされる白いシャツに黒のベスト、蝶ネクタイも付けたままの格好。彼はスタッフだろうか?少なくとも店長と思しき年齢には達していないように見える。

いったいどういったシチュエーションなのだろう?アルバイト先の喫茶店で、閉店後にピアノの練習?はたまた、興味本位でピアノに触れただけ?ジムノペディはそう難しい曲ではない。しかし、それにしては彼の奏でる音には水のように自然な繊細さがあり、わたしはその場でしばらく聴き惚れてしまう。

彼にも夢があるだろうか、その夢が叶うことを願う。けれど、それは叶わないと知っている上で繕った、慰めにも似た願いかもしれない。音楽の世界は狭き門だ。けれど、彼の音を聴きながら、音楽はただそれだけで完成されたものだと知る。

月明かりの下でグランドピアノを弾く男を想像する。それはとても美しい光景だった。

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テーマ「ピアノ」

2017.4.23

よしもとばななの小説についての読書感想文

んなことあるかい、というのが読後の感想。沖縄に来たからといってすべてが救いの方向を示すというのは、いささか過剰なように思う。それはわたしが長らく沖縄に住んでいたからであって、自身に小説のような経験がなかったから共感できない、ということが感想の根底にある。

しかしながら、それは別として、よしもとばななの描写は素晴らしい。特に、心象を文章にすることに関しては抜群だと思う。共感できる一節がたくさんある。読後真っ先に浮かぶのは、『ちんぬくじゅうしぃ』内、父に「そんなふうに祈ったことがあるか」と聞いてほしかった母と、その質問の答えを一人で話し始める悲しさ。本を貸してくれたSは、『なんくるない』の「時は満ちた」という表現に対してそのように話していた。

共感できないストーリーにも共感できる心象の描写があるということは、単純に興味深い。それは、同じ経験をしていない人同士がわかり合えるということにも近いように思う。わたしは、小説で見せるよしもとばななの行動、経験に対して共感することはない。けれど、彼女の喜び、悲しみ、そのような心象に対しては、どこまでも共感することができる。そのことを喜ばしく思う。

現実の人間関係においてもそうであればいい。

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テーマ「よしもとばななの小説についての読書感想文」

2016.7

ある空間についてのテキスト

トーブの熱を感じる。それは灯油を入れるタイプの古いストーブで、その傍で、わたしは体育座りで寄り添うように暖をとっている。こっち来なよ、とは言われない。わたしの斜め後ろにいるあの男からは。視線すら感じない。ただ、ストーブの上に置かれたやかんが、かたかたと音を立てている。

わたしは意識を集中させる。そこにあるすべての物事に。窓の外の明るい日差し、テーブルの上の焼き菓子、床の板、外を歩く人の声。しかしそれらは集中すべきものではない。わたしが本当に集中したいのは、斜め後ろのあの男。けれど、それには集中できずにいる。

もっと近くに行きたいけれど、行けない、行かない、行ったらすべてが終わりそうで。どうして終わると思うんだろう。どうして行かないのだろう。時計の針が時を刻む音が聞こえる気がしたが、それは気のせいだろう、だってここには時計がないのだから。けれど、時間が過ぎていく。それだけはわかる。あと数分でこの時間は終わるんだ、それだけはわかっているのに。

ふいに来客がある。客人は空間に新たな空気をもたらし、そして斜め後ろの男は「斜め後ろ」の男ではなくなった。ただわたしだけ、取り残される。わたしだけ、わたしの思いだけ、その場に残る。それでよかったんだと安堵にも似たため息をつく。ねえ、もう少しこの時間が続いたら言ってくれた?こっち来なよ、って。喉元まで出たその思いは、ただ喉元で消えていく。それは好きなのではなくただの執着なのだと、わたしはわたしに言い聞かせる。その言い聞かせが何の役にも立たないものだとわかってはいても。

さあ、そろそろ準備をしようか。その男はそう言ったけれど、それが何のことだか、わたしは考えられない。準備…準備をしなければならないんだ。何の準備か思い出せないまま、わたしはのらりくらりと立ち上がった。

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テーマ失念

2015春?

食事についてのテキスト

その食堂には、メニューというものがなかった。木板の床に直置きされた黒板には、「和食」「洋食」とだけ書かれてある。そこへ行くのは初めてのことだったが、その大雑把なもてなしには親近感を覚えた。

 「じゃあ和食で」と、わたしはつぶやくように伝えた。特別に和食が食べたかったわけではないが、この店が作る「和食」というものに興味があった。ほどなくして、盆に乗せられた「和食」が目の前に置かれる。それは、鯖の味噌煮と白ご飯、たくあん、鰹節に味噌を溶いた「かちゅーゆ」といったその地方の家庭料理の、しごくシンプルな定食だった。

白ご飯に箸を伸ばす。なんのことはない、白いご飯。しかしよく見れば焦げ目が香ばしく、丁寧に炊かれたことが見てとれる。咀嚼音が必要以上に響く気がするが、それはわたしの思い過ごしかもしれない。店内には音楽が流れていたはずだ。けれど、わたしはただ米を噛む音しか聞こえなかった。

「とても、おいしいです」

ただの一言、つぶやくように言葉にすると、店主と思わしき女性はにこりと微笑みを返す。コミュニケーションがとれたように感じ、わたしは満足する。伝えることに意味があるのだろうと感じる。たくさんの人と会うのに、たくさんの人と話すのに、会話というものを久方ぶりにした気になるのはなぜだろう。

台所の奥からは、醤油の香りが漂ってくる。椅子の上で体をよじると、ギイと木板が鳴る。わたしは咀嚼する。ただ目の前にある食事を全身で味わおうとする。

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テーマ失念

2014冬