15分文学

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断捨離

恋人がいなくなって、一週間が経った。「もう生きてる理由がない!」と、歓楽街のど真ん中で突然叫んで走り出すようなトリッキーな恋人だったので、心配こそすれど、さして驚きはしなかった。驚かなかった自分には少々驚いた。

それにしても、本当にいなくなった。アパートに帰ってきた形跡はないし、勤め先へも行っていないらしい。共通の友人へそれとなく尋ねてみても、「何かされたの?」と逆に心配されてしまう。否が応でも自分の時間ができ、ネットで調べたレシピ通りにチャーシューを4時間も煮込んでみたりするが、やはり帰ってこない。夜になれば「いやー、飲んだ飲んだ」といつもの調子でドアをバンと開けられる気がするが、一向に帰ってこない。部屋の荷物もそのままだ。けれど、よく見ると服が、それもお気に入りであろう数着だけがなくなっていたので、少し笑った。恋人はずっとダンシャリをしたがっていた。ダンシャリダンシャリと恋人が口にするようになったその一週間後に、「ダンシャリ」は「断捨離」と書くのだと知った。おそらくだが、恋人は未だにダンシャリの意味すら微塵もわかっていないだろう。部屋を掃除したら、あっという間にきれいになった。

恋人は、死なない。生きている理由はないかもしれないが、死ぬ理由だってない。きっと今頃は、どこか見知らぬ街を歩いているだろう。開放的なその姿を想像すると、なんだか楽しい気分になった。歓楽街のネオンサインの合間に、月が見える。それはそれは明るく大きな月で、楽しい気持ちのまま、少しだけ、泣いた。

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テーマ「断捨離」

2017.5.4

神道

頭の中には竹藪が広がっていて、その中心のぽっかりと空いたところに、小さな神社が建っている。神社というよりはお社そのものだ。杉か檜と思われる白木の木造で、自分の背丈よりほんの少し高い程度の小さなお社なのだった。お社の前には砂利が敷かれた参道が延び、鳥居は朱塗りの細いものが一つだけ建っている。

その空間に、たびたび訪れる。考え事をしているときや夢の中で、あるいはつまらない人とつまらない話をしている最中などに。一度、飼っている犬を連れて行ったこともある。白い犬は、竹藪の緑と鳥居の朱によく馴染み、まるでお社を護る狛犬を彷彿とさせた。竹は風が吹けば一斉にしなり、横からも上からも下からもざわざわと音がする。鳥や虫の声を聞いたことはない。生きているものは、誰もいない。

お社には木の格子がかかっていて、その奥は真っ暗で何も見えない。きっと、何か美しいものが祀られているのだと思う。

わたしは八百万の神に護られている。やがてわたしも八百万の神になる。

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テーマ「神道

2017.4.29

フェリー

人生で3度、船旅をしたことがある。1度目は舞鶴から小樽へ、2度目は那覇から名古屋へ、3度目は大阪から那覇へ。

どの船旅も、例外なく貧乏だった。3度目の懐具合はとくに酷く、乗船日程が2泊3日あるにも関わらず、船内の自動販売機でカップラーメンの1つも買えないほど。空腹が過ぎて、友人から手土産にもらった10個入りの八つ橋を、朝昼晩と食べて凌ぐ有様だった。

携帯電話の電波状況は圏外を示し続け、膨大な時間を潰すため、持ってきた2冊の文庫本を読み漁った。夜ともなれば、いかにも旅人といった風貌の老若男女が集って酒盛りを始めたが、それに混ざるつもりはなかった。代わりに、船内の様々な部屋や設備をぶらぶらと見て回る。災害時の避難所と化した体育館のような3等船室や、日差しを遮るものが何一つない船上デッキ、悪趣味なシャンデリアとビロードのソファをそなえたロビー。自動販売機には、カップラーメンのほかにもオリオンビールやスナック菓子が並んでいたが、いずれも貧乏人には無縁のものばかりだった。大学生と思しき集団が、わたしには見向きもしないまま缶ビールを大量に買っていった。

2日目の朝、船上デッキへ出て辺りを見渡すと、もううんざりするほど海だった。デッキにはアコースティックギターを抱えた男がいた。することもないので、その男の斜め向かいに座って本を読む。言葉を交わすことはなかったが、交わさなくてよかったと、今でも思う。皆が皆、暇を持て余した船の上では、言葉にならない何かを知らない男と声一つ発しないまま共有することもできるのだ。

空腹と苛立ちを持て余したあの船旅から、もう10年以上が経った。船の上には今でも、旅人や大学生、ギター弾きの男、そしてわたしがいるのだろうか。そもそも、速くて便利で快適で、おまけにWi-Fiまで使えるような飛行機が飛び交う現代において、船旅の需要はあるのか?

時代錯誤だが、それでも、船でWi-Fiは使えないままであってほしいと願う。山も空も海の向こうも日常と化した2017年、せめて船の上にだけは、旅の世界があってほしい。

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テーマ「フェリー」

2017.4.27(30分以上オーバー、もはや15分文学でもなんでもない)

勉強

夜、自分の部屋で無為に過ごすとき、勉強してこなかったツケが回ってきたのだと感じることがある。

学生時代から勉強が嫌いだった。できるできないというよりは、無駄だと思っていた。エピソードとして印象深いのは、高校2年の初夏に行われた数学の期末テスト。2枚あった回答用紙のうち1枚だけに名前を書いて、2枚目は名前欄すら空白、設問にはまったくの無回答で提出した。無論、その日の放課後に呼び出された。「どうした?せめて2枚は出してくれよ」と言った教師の名前は忘れたが、あのハの字眉だけは今でも克明に覚えている。

しかし、何と言われようが、2次関数だとか三角比などといったものが大人になって役に立つとは到底思えなかった。だってこの公式、お前の薄毛すら解決できてないじゃん。それよりわたしはギターに夢中で、好きなバンドがあったし、そのバンドの曲でライブをしたかった。人並みに行きたいところや欲しいものもあって、そして何より、放課後に会いたい人がいた。そういうものが混ざり合って生まれた、漠然とした「将来の夢」があった。

けれど、大人になった今、思う。勉強は、目的ではなく手段だったのだと。割り切ってしっかりと勉強し、名の知れた大学を卒業できていたら、いったいどんな人生を歩んでいただろうか。勉強もギターも恋愛だのも、何もかもが中途半端な劣等生が、「将来の夢」にたどり着くことはない。ギターはうまく押さえられないコードがあって、そうこうするうち周りが受験で忙しくなっていったので、弾くこともなくなった。そうして気づけば地元の短大へ通い、地元から電車で1時間40分の地方都市で就職し、よくある造りの8畳ワンルームに帰る。

ギターは何となく持ってきたが、部屋の隅でインテリアと化していて触ることはない。ツケを挽回できない限り、たぶんずっとそのままの人生を送る。今日より若い日は二度と訪れない。

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テーマ「勉強」

2017.4.26(12分オーバー)

携帯

携帯電話を持たない主義思想に憧れつつもiPhoneユーザーになって早4年。わたしの世代は高校生あたりで皆PHSやらガラケー(もちろん当時はそういった言い方はしなかったが)を持つようになったが、例に漏れずわたしもその流れに乗ったため、iPhone以前にも10年は携帯電話を持ち続けていることになる。

この14年でいったい、何人と何通のメールを送受信したのだろう。メールのやり取りは当時からあまり得意ではなかったが、何通かは読み返すたび胸をいっぱいにするような文面のものがあり、保存しては、やがて削除し、そして別の誰かとのメールを保存する作業を繰り返した。

今は携帯電話でメールなどは滅多にしない。インストールしたgmailのアプリを時々起動させる程度だ。よく使うのはLINEやfacebookメッセンジャー。既読機能に対して苦々しく思っている反面、既読スルーが気になる相手はいる。

SMSがメールになりLINEやfacebookになっても、やっていることは14年前からあまり変わっていない。いつか携帯電話を持たずとも通じ合える相手ができたらいいなとは思っているが、思い続けて14年も経ったことを考えると、どうやら先は長そうだ。

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テーマ「携帯」

2017.4.25

給料日

25日まであと2日!それはつまり、あと2回寝て2回起きたら、ついにわたしにも人生初の給料日が訪れるということ。

古い映画館やカラオケパブ、よくわからない事務所なんかがひしめく5階建ての雑居ビル、その1階の隅っこで、わたしは1ヶ月間、部活にも行かずにせっせとアイスクリームをすくってきた。定番はミルク、チョコ、ストロベリー、抹茶の4種類。あとは日替わりでコーヒーとかラムレーズンとかレアチーズケーキとか、まあいろいろ。カシャカシャと音を立ててアイスをすくう銀の器具の名称は、未だに覚えてなんかいない。というより、そもそも知らない。聞いてない。バイト歴1年のアリサさんだって、カシャカシャを何というのか知らないと思う。

アリサさんはやる気がないし、ファンデは白すぎるし、口を開けば社会人の彼氏の話しかしないような人だ。そもそも社会人と付き合うって、わたしにはちょっと信じられない。半月前にサキの紹介で会った野崎先輩だって、大学2年になったばかりって言ってたけれど、それでもわたしには大人すぎる。付き合うって何?デートしたりセックスしたり二人の将来について話をしたり、そんなの怖いし面倒くさい。そんなことよりわたしが考えたいのは、人生で初めて自分の力で得たお金で何を手に入れようっていうことだけ。

リサは香水をつけるようになった。たぶん、ドルガバのライトブルー。ちぃはプラダのポーチ。しかも黒じゃなくてベビーピンクの。サキは、ピアス穴を開けた。たぶんピアッサーを買ったのだと思う。

みんなどんどんオシャレになっていくし、それは正直、ちょっと羨ましい。でもわたしはそんなものは買わない。わたしは自転車を買う。ママチャリなんかじゃない、6段変速ギアがついたエメラルドグリーンのロードバイク。それに乗ったら、どこか遠くに行こうと思う。漠然と、なんか世界が変わるんじゃないかって思ってる。わたしにはこれからたくさんの「初めて」が待っていて、そしてそれは、きっとすごくキラキラしてるんじゃないかって思ってる。

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テーマ「給料日」

2017.4.24

ピアノ

家からそう遠くないところに、一軒の古い喫茶店がある。その喫茶店から、夜になるとピアノの音が聞こえてくることに気がついたのは、つい数日前のことだった。そして今日も。エリック・サティジムノペディ第1番。あまりにも有名なその曲を、わたしも何度か弾いたことがあった。かつて音大生だった時代があった。音楽の世界で食べていきたいと夢見、その夢は叶うものと信じて疑わなかった。しかし、それは昔の話だ。あまりにも昔の。

足音を立てぬよう気を配りながらガラス扉に近づき、店内をそっと覗く。男がアップライトピアノを弾いていた。壁の間接照明に照らされる白いシャツに黒のベスト、蝶ネクタイも付けたままの格好。彼はスタッフだろうか?少なくとも店長と思しき年齢には達していないように見える。

いったいどういったシチュエーションなのだろう?アルバイト先の喫茶店で、閉店後にピアノの練習?はたまた、興味本位でピアノに触れただけ?ジムノペディはそう難しい曲ではない。しかし、それにしては彼の奏でる音には水のように自然な繊細さがあり、わたしはその場でしばらく聴き惚れてしまう。

彼にも夢があるだろうか、その夢が叶うことを願う。けれど、それは叶わないと知っている上で繕った、慰めにも似た願いかもしれない。音楽の世界は狭き門だ。けれど、彼の音を聴きながら、音楽はただそれだけで完成されたものだと知る。

月明かりの下でグランドピアノを弾く男を想像する。それはとても美しい光景だった。

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テーマ「ピアノ」

2017.4.23