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15分文学

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フェリー

人生で3度、船旅をしたことがある。1度目は舞鶴から小樽へ、2度目は那覇から名古屋へ、3度目は大阪から那覇へ。

どの船旅も、例外なく貧乏だった。3度目の懐具合はとくに酷く、乗船日程が2泊3日あるにも関わらず、船内の自動販売機でカップラーメンの1つも買えないほど。空腹が過ぎて、友人から手土産にもらった10個入りの八つ橋を、朝昼晩と食べて凌ぐ有様だった。

携帯電話の電波状況は圏外を示し続け、膨大な時間を潰すため、持ってきた2冊の文庫本を読み漁った。夜ともなれば、いかにも旅人といった風貌の老若男女が集って酒盛りを始めたが、それに混ざるつもりはなかった。代わりに、船内の様々な部屋や設備をぶらぶらと見て回る。災害時の避難所と化した体育館のような3等船室や、日差しを遮るものが何一つない船上デッキ、悪趣味なシャンデリアとビロードのソファをそなえたロビー。自動販売機には、カップラーメンのほかにもオリオンビールやスナック菓子が並んでいたが、いずれも貧乏人には無縁のものばかりだった。大学生と思しき集団が、わたしには見向きもしないまま缶ビールを大量に買っていった。

2日目の朝、船上デッキへ出て辺りを見渡すと、もううんざりするほど海だった。デッキにはアコースティックギターを抱えた男がいた。することもないので、その男の斜め向かいに座って本を読む。言葉を交わすことはなかったが、交わさなくてよかったと、今でも思う。皆が皆、暇を持て余した船の上では、言葉にならない何かを知らない男と声一つ発しないまま共有することもできるのだ。

空腹と苛立ちを持て余したあの船旅から、もう10年以上が経った。船の上には今でも、旅人や大学生、ギター弾きの男、そしてわたしがいるのだろうか。そもそも、速くて便利で快適で、おまけにWi-Fiまで使えるような飛行機が飛び交う現代において、船旅の需要はあるのか?

時代錯誤だが、それでも、船でWi-Fiは使えないままであってほしいと願う。山も空も海の向こうも日常と化した2017年、せめて船の上にだけは、旅の世界があってほしい。

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テーマ「フェリー」

2017.4.27(30分以上オーバー、もはや15分文学でもなんでもない)