15分文学

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見た目

人間の目と肌の色が簡単しかも低価格で変えられるのは今では当たり前のことだけど、母から聞くところによると、つい4、50年ほど前までは、そのような技術は存在しなかったのだそうだ。「カラコンなら、昔はわたしも付けてたんだけどね」と母は言った。わたしはカラコンがどんなものなのか、あまり想像できない。

肌の色むらや凹凸を消し、自分の好きな色に塗り替えるだけで、人は随分と美しくなる。たまに青とかピンクとか、いわゆる「肌色」ではない色に肌を塗る人もいるけれど、まだまだそういった人は多くはない。かく言うわたしも、元の肌を2トーンほど明るくした程度の色に留めている。目は薄いグレーにゴールドの光彩。髪は明るめのグレージュ。でも、そろそろ夏だし、目の色はグリーン系に変えたいとは思っている。

街に出れば、たくさんの個性に出会うことができる。陶器みたいな白い肌と赤い目、黒髪をリボンでツインテールにした彼女は、きっとアニメかビジュアル系が好きなメンヘラちゃん。か弱い自分が可愛くて、かまってほしいタイプ。ピタッとした白Tにシルバーアクセが映える日焼け肌、アッシュ系の髪と目をした彼は、ちょっとイカつく見られたいオラオラ系。夏は海で女の子と遊びたいリア充さん。

母の時代は「見た目で人を判断しないようにしましょう」というような教育があったというが、信じられない。現代において重要視されているのは「いかに見た目からその人を知ることができるか」というスキル。むしろ見た目で人を判断しないだなんて、失礼にも程がある。

そりゃーわたしだって、生まれつきの顔立ちは、残念ながらいいほうじゃない。けれど、肌も目も定期的にメンテナンスしているし、美容室だって月に一度は通っている。努力してる。なりたい自分に近づくことはだいぶできていると思う。だから、わたしは見た目で判断してほしい。少しギャルっぽいかもしれないけれど、明るくてキラキラした女の子だなって思われていたい。

でも、昔も髪だけは染められたみたいだし、カラコンを装着することで目の色も変えることができたらしい。肌だって、ファンデーションという肌を覆うものがあったという。それなら、当時だって、ある程度は自分を理想のイメージに近づけることができたのでは?それなのに「見た目で人を判断しないようにしましょう」だなんて、本当に不思議な時代があったんだなって思う。

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テーマ「見た目」

2017.5.15〜18(時間があるときに分散して書いた、おそらく15〜30分はオーバーしている)